
母親が年に三回くらい「健康に産んであげられなくて……」と憂うのだが、私は心配されるほど不幸ではないし、その言葉が嫌いだ。
まず、私の様子をもっと見て欲しい。何も障害になっている現象もないし、ただ3食後薬を飲むだけ。気分の波はあるけど、そんなの普通の人だってある。
でも、母親の気持ちも分からんでもない。私も自分の子どものことでかなり悩んだ時期があった。
0歳児の大手術
息子が先天性な疾病をおっていると分かった時に、先生が放った「このままでは死んでしまいます」という言葉はかなり鮮明に覚えている。
奇跡的に息子は助かったが記憶に残っていないとはいえ、自分の中で抑えきれない気持ちが溢れてきた。
「妻の夫が僕じゃなかったら、遺伝子情報も違ってくるし、幼い子の腹部を切るようなことにはならなかったのではないか?」という悲しい気持ち。
本当に悩んだし、悔いた。泣いた。
さらなる思いも湧いてきた。
精神疾患は遺伝しないのだろうか?
この質問には主治医の答えが出ており「確率的には非常に少ないので気にすることない」とのこと。
しかし、この先子どもが「見えないものが見える・聞こえないものが聞こえる」と言い出した時、私の存在意義が全くなくなってしまうに違いない。
その時子どもにどう声をかければいいんだろう。
「こんな父親でごめん」だろうか「僕のせいだ」だろうか。
業を背負って生きるとは言うけれども、あまりにも罰が酷すぎる。
まとめ
結局私も「健康な体にしてやれなくてごめん」と言うのかもしれない。
平穏でいい、贅沢や、大金なんていらない。子どもが健康であることが一番の思いだ。
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